見えない世界を描く旅 〜夜のグループ展とヒルマ・アフ・クリント展をめぐって

初めての夜のグループ展、無事に終了しました。

「夜だからこそ来られた♪」という皆さんとお会いでき、ゆったりとした時間を一緒に過ごすことができました。
夜には夜のリズムがあり、その流れの中で生まれる出逢いがあるように感じます。

タロットリーディングも時間を気にせず、じっくりと行うことができたし、プーナストーンも必要な方の元へ旅立ちました。

最後のOSHOマーブル with ダイヤモンドペンダントも、この度めでたくお旅立ちに♡

ライアーもサイキックリーディングも好評で、夜のグループ展はとても心地よい雰囲気の中、穏やかに幕を閉じる事が出来ました。

ご近所や遠方から遊びに来てくれた友人たち、久しぶりに再会できた友人たち…
佳き時間を共に過ごせたことが有り難いです。

そしてグループ展の期間中、“見えない世界を可視化するアーティスト”として知られる、スウェーデン出身の画家・神秘思想家ヒルマ・アフ・クリント展へ赴きました。

彼女は「死後20年間は作品を公開しないでほしい」という遺言を残していたそう。

展示されていた作品には、クレー、タロット、オーロヴィル、サガプリヤやマンガラのワークなど、これまで私が別のルートで触れてきた言葉や造形が、あちこちに散りばめられていて、とても“初めて観る展覧会”とは思えないほど、深く馴染みのある世界でした。

神智学がこんなにも身近なものだったなんて!
もっとも、神智学自体が東洋の宗教思想を西洋に紹介したものらしいので、ある意味逆輸入で、そう思えば身近で当たり前とも言えるのかも。

日本では、明治から大正にかけて活躍した画家の久米民十郎が、パリ滞在中に神智学と出会い、その思想から大きな影響を受けたと言われていて、自らの芸術を「霊媒派」と呼び、霊的なインスピレーションに導かれた創作を行っていましたが、その背景には神智学的な世界観が根づいていたようです。

日本人にとって「霊媒派」という表現には少し特殊な響きがあるけれど、「神智学」という西洋風の言葉のほうが、より穏やかで受け入れやすい印象を持たれるのかもしれないですね。

閑話休題。

ヒルマ・アフ・クリントは、女性5人で結成されたスピリチュアルグループ「五人」の一員で、定期的に交霊会を行っていたとのことで、その中で霊的存在からの啓示を受け、「高次の存在のために描く使命」を感じ取ったと語っているのです。
彼女の作品やワークは、私自身がこれまで辿ってきた道とも重なり、まるで原点に戻るような感覚でした。

この1枚は特に面白くて、上段が私達には馴染みの深い感情体、エーテル体など、エネルギー体の視覚化の一覧表で、下段は想念をイメージ化したものです。ワーグナー音楽のイメージ化なども試みたとあります。

私がペルーでお茶(アヤワスカ)の1か月缶詰セレモニーをしていた頃、意図せずこの音の視覚化が起こりました。
誰かが音を聴くのではなく音を観ると言っていた事を思い出しますが、まさに音を波形と色で観て感じる事が出来ました。

鈴虫の声は沢山の円形の波形が中心から外へと拡がっていく感じで、遠くで聞こえるボートのエンジンの音はぎざぎざの矢印となって体を貫いてくる感じ…などなど。そして衝撃的だったのは、その夜、教会から聞こえてきた音楽は、悪魔の言語だった事でした。

展覧会で一番強く印象に残った「太陽のピラミッド」の絵を一枚お迎え。


さっそく玄関に飾りました。

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